日本人は「空気」読み合戦から脱却し、戦略的「空気」読みに移行するべき

日本人の国民性の危うい部分を知るべき時が来ているかもしれない - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る
http://d.hatena.ne.jp/ta26/20091116

読んでいて、鋭い洞察だと思いました。

日本人がどうしても受けいれられない資質として、金への信奉があると思います。米国人などを見ていると金が社会の価値として驚くほどに定着しています。お金持ちはいい人だ、お金を稼ぐことはいいことだと何の疑いもなしに考えている人がとても多いです。翻って、日本人はお金持ちやお金を稼ぐことを無条件で肯定することが憚られる風潮がどうもあるように見受けられます。

だからと言って、日本人が金が嫌いということではありません。日本人には、どうやら金とは別の価値、尺度があるようです。所謂「空気」のことです。「空気」の前では金の問題であっても、そちらが優先されることがあります。

事業で成功して大金を稼いでも社会から評価されない、Nobel賞を取るような発明をしても金が支払われない、より合理的で効率的な仕事方法を提案しても生意気だと潰される等々。

これまでの日本ではそれでも何とかやってきました。金も稼げていました。米国から日本の不透明な商慣行は公正でないなどと外交上の厳しい突っこみを受けたこともありました。

しかし、時代は遷り変わりました。日本は稼げなくなりました。「空気」では世界に通用しなくなりました。それでも稼ぐためには努力しなければなりません。そこで日本人は、そんな「空気」を捨てるgroupと逆に「空気」読み合戦に拘泥するgroupに分かれてしまいました。まあ、後者のほうが圧倒的に多いですが。

後者の「空気」読みgroupに理屈は通じません。談合して、根回しをして、多数派工作をして、政治的に優位に立たなければ、どんなに筋の通ったことでも潰されてしまいます。ですが、前述のとおり、そんな「空気」読み合戦が通用するのは日本の中だけです。Globalismの嵐の吹き荒ぶ世界の前ではなす術もありません。

どういうわけか、これは第2次世界大戦敗戦前の日本の状況に似ているようにも思えます。技術論、戦略、戦術で議論するのではなく、「空気」でしかものを決められなかった日本は無残に敗れました。今回も敗れてしまうのでしょうか。

問題を難しくしているのは、このまま日本が「空気」を捨て、論理でものを決めるようになったとしても、これまで日本が戦ってきたstageで勝利を掴むには遅すぎるということです。長年それが当たり前だった諸外国と違って日本にはそんな風潮はありませんから、一朝一夕に盛りかえすだけの力を付けることはできません。

では、どうすればいいのかということですが、I.S.としては、負けてしまった部分では負けを認め、傷が深くならないうちに負けていない部分に撤退する、そして、負けないところだけで食いつないでいくしかないと思います。これは「空気」読み合戦を捨て、論理的に、合理的に、戦略的に判断して行動する必要があります。

「空気」読み合戦は世界に通用しませんが、「空気」を読む能力が長けている日本人が論理的に、合理的に、戦略的に「空気」を読んで、人間性の深いところにまで響くような新しいcontentを作りあげれば、なかなかいいものができるのではないかと期待しています。