文系理系の争いは文系が勝利したので、男尊女卑の人たちは早急に考えかたを変えるべき

そんなことを訊かれても - 内田樹の研究室
http://blog.tatsuru.com/2010/01/08_1532.php

まあ、敢えて文系理系という言葉を使うのであれば、理系でなく、文系の人はこう言うしかないよねと言ったところでしょうか。

『atプラス』の方はかなり学術的な媒体なので、「交換経済から贈与経済へ」という大ネタでお話しをする。
「クレヴァーな交換者から、ファンタスティックな贈与者へ」という自己形成モデルのおおきなシフトが始まっているという大嘘をつく。
もちろん、そのようなシフトは局所的には始まっている。
けれども、まだまだ顕微鏡的レベルの現象である。
それを「趨勢」たらしめるためには、「これがトレンディでっせ」という予言的な法螺を吹かねばならぬのである。

Televisionで活躍している文化人などもそうですが、文系の人たちは法螺を吹くのが仕事です。理系でない文筆活動は結局のところ白い物を黒く見せる、黒い物を白く見せる手品みたいなものです。それに釣られた人たちはああそうかと勝手に納得して、ときには金まで出してしまいます。

小説、映画、TV drama、漫画、anime、game、大衆音楽といった大衆娯楽は総じてそのようなものです。Cult宗教みたいなものです。中には読者や視聴者を露骨に見くだし、敵視しているものもあります。それと気づかず、大衆は扇動され、洗脳され、時間と金を浪費していきます。このようにして日本人は堕落してきたわけです。

日本社会はいま急速に流動性を失って階層化が進行している。上層の一部に権力も財貨も情報も文化資本も集中する一方で、巨大な「下層」が形成されつつある。その階層差を形成しているのは端的には危機感の差である。「いま、私たちはどうふるまっていいかわからない状況に入りつつあり、正解は誰も知らないし、誰も教えてくれない」ということを切実に受け止め、それゆえ自分の判断力と感覚を信じて生きる人間たちは生き残り、「どうすればいいんでしょう?」とぼんやり口を開けて、「正解」を教えてくれる人の到来を待ち望んでいる「受け身」の人たちは下層に吹き寄せられる。残酷なようだが、そういうことである。
健闘を祈る。

庶民の味方ですみたいな立場で論陣を張ってきた人が庶民とは桁違いの額の金を手に入れます。庶民の味方みたいな態度の人が庶民を堕落させ、1番庶民のためになってこなかったということです。ですが、人は悲しいことに厳しい言葉よりも優しい言葉を求めます。優しい言葉に騙されて、大事なものを失ってきたわけです。

堕落しきった人たちは最終的には退っ引きならなくなってきます。だからと言って、堕落しきった人たちが全員行き詰まったから、今日から全員死にますみたいなことは無理です。強制収容所に入れて、無理やり働かせることもできません。Gas室に入れて虐殺することもできません。結局なるようにしかならないわけです。

貨幣とは、物凄く乱暴な言いかたをするなら、男性的に自分らしく生きるためのpointみたいなものです。自分で働いた分は自分だけが使えるという思想を具現化したものです。しかし、階層2極化が極端に進み、一方はcontentを生産する側、もう一方はcontentを消費する側として固定化してしまったら、消費する側はもう生産する側に払う金がなくなるので、貨幣が機能しなくなります。

こうなったとき、どうなるかということですが、過去の歴史では世界大戦になりました。しかし、現代ではそれは非現実的です。今世界大戦が起きれば、世界がなくなってしまいます。

では、どうなるかということですが、やはり人は再度結束し、助けあうようになるしかないでしょう。自分も相手も堕落しきってしまったのなら、人だから仕方ないよねとお互いを認めあうしかないでしょう。綺麗事を言ったり、建前だけで物を言ったりしても不毛でしょう。他人を蹴落とすために頑張ったところで、残るのは孤独だけです。同じ頑張るのなら、他人を助けるために頑張り、人々と手を取りあったほうがいいでしょう。

価値とは男性優位社会でのみ生じる概念です。価値とは、勉強して、働いて、貞節を守って、結婚して、子供を作って、子供を育ててといったことから生まれます。これは男性優位社会の根底の考えかたです。このような男性優位社会では当たり前のことすら苦痛を感じてできない人ばかりになってしまったのであれば、最早残された道は女性優位社会しかないでしょう。貞節という言葉はなくなります。したいときにしたいことをします。勉強したいときに勉強します。働きたいときに働きます。結婚などしません。子供は生みたいときに生みます。

このような社会では、自分らしく生きている女性のことを色んな言葉で罵倒しているような男尊女卑の考えかたを持つ人たちには生きづらい、と言うか、生きられない社会になるでしょう。所詮人は女性から生まれる生き物なので、男性は女性に敵いません。男性はただ平伏すのみです。

水は低いところから高いところには流れないと言いますが、これが世の中の流れだとすれば、仕方のないことだろうと思います。I.S.はそうならないように色々発言してきましたが、世の中を観察していると、どうもそういう人はあまり多くないようです。政治制度として規定していなくても、世の中は多数決で物事が決まりますから、男尊女卑の考えかたを持っている人は早々に考えかた、生きかたを変えていったほうがいいと思います。